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INTAVIEW

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CAMPのファシリテーター高橋愛満が

SOKOAGE CAMPの魅力を知るべく、

彼らに問をなげかけます。

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東北に移ってきたら、ひとが「豊かだな」

と思ったんだよね。

どうやって生きるか、どうあるかがすごい大事。

―――ゆっけさん自身はどのような思いをもって

                        SOKOAGE CAMPをつくっていますか

僕の興味として「豊かに生きる人がどう増えるか」というテーマがあります。僕の問題意識は満員電車と自殺者から始まっています。僕が東京に住んでいたころ、満員電車に乗る人たちがみんな下を向いていました。飛び込みがあったとしても飛び込んだ人の安否を確認する人なんて誰もおらず、自分の仕事に遅れることに気が立っていました。そして仕事帰りには上司の愚痴を言いながらお酒を飲んで家路につく。そんな状況を見て、「本当に幸せじゃないな、この電車は。どうにかならないかな。」と思いながら生きていました。2011年、東日本大震災があって東北に移ってきた時、電気もなければ食料もお金や家もないのに、人に感謝をしている人や「生きててよかったね」ってハグをしている人を見て、「豊かだな」と思ったんです。僕はそれが何かを知りたくて。いろいろ考えた結果、何をやっているかやどんなものを所有しているかよりも、どう生きるか、どうあるかがすごい大事だという結論に辿り着きました。

震災直後の混乱した状態は常にはないわけだから、日常の中で僕自身が豊かであるためには何が必要か、どうあるかを追求すると、「自分のやりたいことをしているか」とか、「他者との違いを認めあえているか」、「生活の中に少しの自然があるか」という要素が当てはまるのかなと。そして僕が豊かに生きているなと思っている人も同じようなことを大切にしていることに気づきました。そこから、そういうものを育めるような環境や感じられるような暮らしを人生で作っていきたいと思うようになりました。これは、底上げを通して気仙沼の高校生と関わっている僕の根本的な動機でもあります。そしてその延長線上として、大学生に向けたSOKOAGE CAMPも一つのフィールドになるのではないか、と思って始動しました。

―これまで8回実施してみて、どのような感触がありましたか。

参加者の満足度は総じて高いです。そこには大きく3つの要素があるのではないかと思っています。1つめは時間と場所としての要素。1週間自分のことだけを考える、その時間にまず価値があると思います。2つめは自分のためだけに時間を作って聞いてくれ、聞いた上でフィードバックをくれる他者がいる環境。そこには高校生と向き合ってきたノウハウを存分に活用していることや、そもそも底上げのスタッフのバックグラウンドやキャラクターも多様であるため、どんな人にもフィットできるという魅力が詰まっています。3つめは居場所。キャンプの参加者の声から知ったことなのですが、意外とみんな居場所と感じられるところがないのです。その点キャンプでつくられるコミュニティーが、自分の帰ってこられる「素の自分でいていい」と思える居場所になっています。

―――「豊かさとは何か」「豊かに生きる人がどう増えるか」のヒントとなる経験はなにかありましたか?

この問いは僕の人生そのものから得た学びでもあります。僕の場合は人生グラフを書くとわかり易いですが、幸福度が高いときは必ず僕のwill(意志)がある状態です。逆に落ちているときは他者のせいや社会、学校のせいにして自分のやりたいことをやっていない時や、そもそもそこに向き合っていない時。つまりは、ちゃんと自分と向き合っているか、自分の軸や尺度を持って行動を取捨選択できているかは人生を豊かにしているポイントだと思っています。

僕にとっては旅に出た経験がこの視点を得るまでに大きく影響しています。全く自分の知らない世界に行ったことによって、自分が何もできないという経験もするし、自分とは真逆の価値観とか、そもそもの社会が日本と真逆だったりして、持っている視点そのものが違うということに気づかされました。そこで、どれだけ多様な人や社会、世界と交流があるかということは、自分が知らないことを得るためにはすごい重要なんだということに気づきました。だから、日常から一歩外に出て違うところに行く、違う人に会う、という経験を得られるようにキャンプの土台の部分を作っています。

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日常から一歩外に出て違うところに行く

違う人に会う経験は価値である。

​ゆっくり すすめ

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―――一歩を踏み出すかを迷っているいる人に向けて、

                                                           一言お願いします。

キャンプでよく使うフレーズに、「ゆっくりすすめ」という言葉があります。さっきも言った通りキャンプは、僕の人生の中でいいところがあった一方で落ちていたところがあったからこそ生み出されているものです。

例えば、高校の時僕は学校が大嫌いでした。でもその原因は高校が悪いわけではなく、僕が「こういう高校だからなんにもできないんだ」とか「勉強勉強って詰め込まなくてはならない社会がいけないんだ」とか、自分が全く動いていなかったからだと思っています。

一方で、東日本大震災直後に東北に入った時には、目の前には瓦礫の山があって、困っている人や泣いている人が周りに大勢いる中で、僕にできることは本当に海の中に石を投げるようなものでした。目の前の瓦礫をとったところで全然波紋が広がっている感覚もなく、どうにもならない、無力感が強くありました。ただ高校の時と違ったのは、少なくとも自分のできることをやっていたことです。

自分が選択した一つの小さな行動が将来自分にとってどういう変化になるか当時はわからなかったけど、とにかく必要だと思ったことを信じ切って進めたかどうかは、僕にとって今非常に大きな変化になっています。当時は進んでいる感覚なんて全くなかったけど、それがつまりはゆっくり進めということだと思います。

変わりたい、何かしたいと思った時に、いきなり翌日起きたらスーパーマンになっているということはなくて。人間ができることは小さなことだけど、その小さなことを積み重ねることでしか変化は生まれません。その小さな1歩が例えばキャンプに来ることかもしれないし、本当に目の前の小さなことかもしれない。けどその一歩をいかに逃すことなく自分の心と向き合って行動に繋げられるかで、歩き続けた先に大きな差ができている。そういう経験をSOKOAGECAMPとその先の人生でつかんでもらえたらいいなと思っています。

姫インタビュー

ーさおりさんにとってSOKOAGE CAMPは

                                         どんなところですか?


私が大学生の頃にあったらよかったなという場所かな。大学や家の中での自分を全部置いておいて、背負わずにしゃべれる場所です。日常生活の中でこういう場所って以外とないなと思っていて、やっぱり生活する中で知らず知らずのうちに肩書きを背負っているけど、ここでは改めてそれを眺める、ということができます。先行きの見えない不安というのは私が大学生の頃もあったけど、自分の育ちや環境も含めて私が誰かに相談する機会があったかと言われると、なかったんだよね。改めて相談するってなかなか難しいし、自分で時間をかけて考えるってなかなか取れなかった。そういう意味で、SOKOAGE CAMPは、改めて自分のことを振り返れるし、なんの利害関係やそれまでの関係性もないところで「自分」というものと付き合ってくれる大人や同じ年代の大学生がいる空間です

肩書きのある自分を全部置いて、

改めてそれを眺める。

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「こうあるべき」をはずして

「自分はどうありたいか」を考える

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―――実際にキャンプを実施してみて

                               気づいたことはありますか?

私が思っていたよりも生きづらさみたいなものをみんな抱えているんだなと感じた。自分のことがあまり好きになれないもそうだし、素を出すことができない、大学や家庭でもなにかしら耐えている我慢しているといったことをみんな抱えているなと。私自身はその生きづらさや気になる部分、摩擦を感じる、嫌だなと思うことに気づけたり、それに対してどこに根元があるんだろうということを考えられるようになったのがごく最近でした。私の場合は単純に年齢を重ねるなかで自分の時間の使い方や働き方、人との距離感とかいろんなやり方を試してきて、なんとなく自分で気づいたんだと思う。でも、大学生のときにこういう時間が持てていたら、もう少し自分自身への対処の仕方とかがうまくなっただろうなと思ったりもします。環境にもよるけど、例えば大学生の場合だと3年生の終わりから就職活動をしてちゃんと安定したところに入るのが良き人生、それが普通という風潮があると思います。でも、私はだんだん「普通」というものが通用しなくなってくると思っています。例えば終身雇用とか長く働くほど確実に給料が上がっていくといったことは無くなって、変化が大きくて先が見えない社会になってくるだろうと考えています。新卒でどこかに入って定年まで同じところでずっと働くことがよしとされるっていうのは、私は嫌でそのレールからは外れているし、そういう価値観は崩れて欲しいと思っている部分でもあります。なぜなら「こうあるべき」みたいなところがすごく窮屈にさせている部分があると思うからです。

その一方で予想できない、コントロールできないことの一つが震災だと思います。キャンプを気仙沼で実施することとか気仙沼の人に会うことで、こうしていれば安心、大丈夫というものは何もない、ということが実感できると思います。そこには沿岸部ならではの力があると思います。そういった意味でも「こうあるべき」をはずして「自分はどうありたいか」を考える機会がキャンプでは一番大事なのかなと思っています。


ーーー「こうあるべき」をはずして「どうありたいか」を

                    考えるため心がけていることはありますか?


こちらから答えは提示しない、ということです。答えのないことだし、決めるのはその人自身だから。キャンプの時に私が個人的に気をつけているのは、底上げのメンバー自体が、あまり社会の枠に収まりきっていない人たちばかりで構成されているために起こりうる「こうあるべき」をなくすことです。例えば、スタッフ5人中大学生のときに一般的な就職活動しているのは私しかいないんです。そういう部分で、キャンパーの視点が変に偏ってしまう場合がきっとあるだろうなと思っています。「この人たちが就職せずに社会の枠にはまっていないのがかっこいいから自分もそうしたほうがいい」というように。そんな時には「就職してもいいよ、全然。それも一つの選択。何を大事にするかは自分次第だから。」と言えるように意識しています。自分にとって何が大切かということがちゃんと自分の中で握れているなら、どんな選択をしてもいいと思っています。

こうしていれば安心というものは何もない。

答えは自分の中に。

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自分に目を向け、

自分にとっての幸せや豊さを

見つけるキッカケに

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―――これまでのSOKOAGE CAMPを振り返って、これからに参加を考えている若者にメッセージをお願いします。

まず0期から2期のキャンプを終えた子たちに対して思うことは、自分なりに幸せになって欲しいなということ。自分の幸せとか、自分が豊かに感じることってどういうことなんだろうという考えることを大事にしてほしいです。キャンプをそれを始めるきっかけになる6日間にして欲しいなと思う。このキャンプには、ちゃんと時間をかけて自分自身を見つめ直したいと思っている子、自分のことわかんなくて困っているという子、キャンプの経験を自分のやっている活動に活かしていきたいと思っている子など様々な思いを持った子が集います。でも最終日には、自分の日常の活動やとにかく前に進むというようなことよりも、自分のあり方そのものに目が向いて、これまで認めていなかったり。自覚していなかった自分に気づいて帰ります。だから、誰かが流しているものに乗っかっているような現状に違和感を感じていたり、もっと自分らしく生きたいと感じている子には、一人で考えることは大変だったりするので、そこを誰かと一緒に考えてみてほしいと思います。その点、SOKOAGE CAMPにはスタッフとだけでなく参加者同士のつながりも大切で活きてくることがあるので、人とのつながりの中で自分の生き方について考える時間がたっぷりあるからいいんじゃないかな。

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